こんにちは!
シトロエン大田 本荘でございます。
本日は第5.5弾と中途半端ですが、愛媛県は大洲市に在る大洲城をご紹介致します。このシリーズを始めた時は現存天守のご紹介でしたが、この大洲城は木造で復元されているので、あえて5.5弾としました。
時代を遡る事、鎌倉時代末期に伊予宇都宮氏の宇都宮豊房が初めて築城されたと言われています。その後江戸時代初期、藤堂高虎らによって大規模に修築がされ、近世城郭としての体裁を整えました。
現在の天守は、大洲市市制施行50周年記念事業として2004年に竣工したもので、戦後初の当時の工法・木造で復元されたものです。明治時代に撮影された外観写真のほか、大洲藩作事棟梁の中村家に伝わる天守雛形(木組み模型)など内部構造を知ることができる資料が現存していたため、往時の姿をほぼ正確に復元することができたそうです。
天守の復元資金には、民間からの寄付も多く、その寄付者の名簿は天守内にレリーフで残されていました。
奥に見えるのが天守、手前に見えるのが櫓ですので、城郭はかなり広かったのでしょう。
その櫓に接近してみました。
手前にテニスコートがありましたが、多分お堀だったのでしょうね。
続いて城下町へ。
建物は100年以上経っていると思います。
軒下が低いのが良く解るのと、土壁が崩れ落ちています。
土佐藩、坂本竜馬が脱藩時休息を取るため寄ったと言われる場所です。
ちなみに上陸して昼飯を食べたそうです。
この大洲は川を使い船での交通要所で昔は凄く栄えていたのでしょうね。